柏手

また神社に足が向かうようになったのは、息子が生まれたからだった。母と私と息子。3世代でのお参り。別に信心深い訳ではない。大人になってからは神社などだいぶと足が遠のいていた。節分、お彼岸、お盆、誕生日にハロウィンにクリスマス。出産前はそういった行事ごとなど何の意味もないと、興味がなかった。
そんな私も子供ができてからは人並みにそういったものへ参加するようになった。

「ジャスんっジャクっジャクっ」
彼は境内の砂利を踏む音にはしゃいでいた。飽きもせず何度も砂利を踏む。
「たっくん楽しい?」
母が聞く。
「うんっ楽しいぃぃ」
息子は砂利を踏んではその感触と音に笑っている。
「グワーン、グォーン、バズーーんっ」
砂利を踏みしめる度、砂利の音を擬音で表現する。
幼児など全員バカだ。良い意味で。訳の分からぬことを気に入る。気に入ったことを延々と繰り返しては笑っている。大人とは違う生物だ。

拝殿は立派な面構え。荘厳さと威厳さで私の悩みなどどうでも良いちっぽけなものだと突き付けてくる。
前に立つと、母がまずやってみせる。

「パン、パン」
二礼、二拍手、一礼。

「たっくんもやってみる?」
母が息子に聞く。
「うんっボクもやるっボクもやりたーーい」
私を見ながら答えるその答えには言外に「お母さん一緒にやって」を含んでいる。
私は息子の手をとり一緒にやる。

「パン、パン」
二礼、二拍手、一礼。

息子の奏でる柏手。その音は神様に届くというより、ただ世界に向かって自分がこれから生きていくことを、「これからよろしくお願いします」と、自分の存在を知らせるような天に向かう響きだった。

★ ★ ★

いつもとは違うちゃんとした服を着せられ、普段とは違う空気を感じ取り、彼は少し緊張している。
会場は静かだ。目にはモノクロ。白と黒と漂う煙。耳には「ポクポクポクポク」単調な木魚のリズムと「うーあーうーあー」抑揚のないお経というメロディー。鼻にはお線香とお焼香の混じった死のにおい。

私は礼をし、焼香を捧げ、再び礼をする。そして息子を前に立たせ頭を下げさせる。息子は真剣な顔で、私の一連の動きを真似しようとする。

「パン、パン」

下を向いていた者、宙を見つめていた者、涙を拭っていた者、鼻をすすっていた者、一斉に音の出どころを確認する喪服の擦れる音がする。木魚を叩き、お経をあげる坊主さえ振り返る。単調なリズムも抑揚のないメロディーも止まる。お通夜の席で聞こえるはずのない柏手の音に。

周囲の大人たちが一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を戻した。坊主も向き直り、何事もなかったかのようにポクポクとメロディーを再開する。
咎めるでもなく、ただ「子どもだからね」とでもいうような、柔らかい空気が流れた。
「おばあちゃんも喜んでいると思うよ」
「子どもはいいねぇ、場を明るくしてくれる」
「子どもがいると救われるね」
親族からも参列者からもそう声が飛ぶ。

彼はまだ死というものを理解していない。
幼児など全員バカだ。良い意味で。訳の分からぬことを気に入る。気に入ったことを延々と繰り返しては笑っている。大人とは違う生物だ。
息子は参列者が帰った後も「パン、パン」と手を叩いている。
「パン、パン」「パン、パン」「パン、パン」

「パン、パン」「おばあ、ちゃんっ」「パン、パン」「おばあ、ちゃんっ」「パン、パン」「おばあ、ちゃんっ」
手を叩きながらおばあちゃんを呼ぶ。

気に入ったようだ。電池で動くシンバルを叩くおサルのぬいぐるみのようにしつこいほどやっている。

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