米軍、イラン領土へ取り残された乗員を救出━━仲間を救うアメリカと、見捨ててきた日本

イラン側に撃墜され、イラン領土内に一人取り残されたF15戦闘機乗員を米軍が救出した。

今回のアメリカイラン戦争をオレは支持しない。トランプ氏の判断にもまったく共感しない。それでも、敵地に取り残された搭乗員を救いに行った米軍の実務者たちの行動には、率直に頭が下がった。“仲間を見捨てない”という一点で、日本はアメリカに遠く及ばない。

拳銃一丁で敵地に落ちた仲間を、なんとしてでも連れ帰る。そのために新たな被害が生まれることもいとわずに、仲間の救出に命を懸ける。絶対に置き去りにはしない。この覚悟には心が痺れた。

日本ならどうするか。自衛隊員が同じ状況に陥ったら日本はどうするのか。
「まずは外交交渉で」「アメリカに助けてもらおう」「危険すぎる」「責任は誰が取る」
そんな言葉がぐるぐる回っている間に、誰も決断しないまま時間だけが過ぎていく。その間に、救うべき人間は敵に捕らわれ、拷問され、最悪の場合は命を落とす。
それでも日本では、「仕方なかった」で終わるのだろう。

そもそも日本は、先の戦争では仲間を救うどころか見捨ててきた、「特攻で死ね」と命じてきた国だ。救出どころか、兵士の命を「使い捨ての資源」として扱ってきた歴史がある。そんな国が、都合のいい時だけ「絆」「信頼」「友情」といった美しい言葉を振りかざす。聞いていて空々しい。

アメリカでは今回の救出劇がいずれ映画化され、英雄譚として語り継がれるだろう。一方、日本の過去には救出という発想すらなく、兵士を見捨て、兵士に自決を強いた歴史がある。この差は、単なる軍事力の差ではない。“人間をどう扱うか”という価値観の差だ。

オレはアメリカイラン戦争を肯定しない。しかし、仲間を見捨てないという一点において、米軍の作戦遂行能力と覚悟には圧倒された。国家の判断とは別に、現場の人間が命を懸けて仲間を取り戻すという行為には、政治や思想を超えた“人間の尊厳”がある。

日本は、同じ覚悟を持てるのだろうか。それとも、議論と責任回避の迷路に迷い込み、救える命を救えない国のままなのか。
今回の一件は、有事目前の日本に改めて我々が取るべき姿勢を突きつけている。

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