ボクは悪い子なんだっ。フジモンが大好きなのに、一番面白いのに、彼を見る度にどうしても「当て逃げ当て逃げ」と脳内で何度も何度も反芻してしまう。
不祥事のイメージを払拭しようと一生懸命頑張っているのに、そんな一生懸命な姿より「何を言ったって所詮当て逃げした人でしょ」と思ってしまう。
当て逃げ前も当て逃げ後も、ひな壇からのフジモンのガヤは最高だ。誰よりも声が大きく、誰よりもよく通る。他の芸人がボケたから笑いが起こるんじゃない。フジモンのガヤによって笑いが起きるんだ。
フジモンはガヤだけじゃないんだぞっ。自らボケることもできる。フジモンの代表作「顔デカいからや」はホントに最高だ。
芸人A:「この会場こんな狭かったっけ?」
フジモン:「顔デカいからや。オレの顔がデカいからこの会場が狭く感じてまうねん」
芸人B:「お腹減ったな」
フジモン:「顔デカいからや。オレの顔がデカいからお腹空いたと錯覚してまうねん。大丈夫や、お腹なんか空いてへんわ」
芸人C:「オレ風邪ひいたちゃうんかな?」
「顔デカいからや。オレの顔がデカいから風邪ひいた気がすんねん。大丈夫や。平熱や」
めちゃくちゃオモろい。どんな芸人より、どんな漫才より、どんなコントよりもオモろい。なのにボクはもうフジモンを純粋な目で見られる体ではなくなってしまった。もうこの先純粋にフジモンを見ることができない。
宮迫を見るとウソつきウソ泣き、アンジャ渡部を見ると多目的トイレ、木下を見るとペットボトル。もうどうしても頭から離れない。彼らを見る度に反芻してしまうんだ。
もうとっくに過去のことをいつまでもいつまでもネチネチネチネチ、ネチルダさんなボクはいけない子なんだっ。
フジモンも宮迫も渡部も木下も顔を見ていると共通点があるように感じる。系統が同じように感じる。
平時には先輩には媚びを売り懐に入る。先輩のためじゃない、全て自分のため。自分が気に入られるために、可愛がってもらえるように。挨拶するのも、敬語使うのも相手を敬っている訳じゃない。自分がカワイイ後輩、礼儀正しい人間だと思われたいだけ。全て自分のため。
何も問題がない時は、平時には調子の良いことを、格好つけたことを人一倍言う。それでいて、いざ問題が起きれば男のくせに平気でウソをつくしすぐに泣く。泣いて謝る自分に酔っている。熱を上げているのは本人だけで、第三者は全員しらけ顔で「ウソっぽい、ウソ泣きバレバレ」とため息。そう見られていることも、バレていることも本人は気付かずに悦に入って泣き続ける。彼らは全員、誰より自分が一番だと思っている。とにかく自分が助かるように、自分だけは助かるようにあれこれ画策する。先輩も後輩も落としても、とりあえず自分だけはと。その場をやり過ごすためのウソが次から次へポンポンと出てくる。上辺だけの薄っぺらい言葉だから次から次へと出てくるのだろう。
ボクは純粋にフジモンのガヤを聞きたいのに、聞くたびに「当て逃げ当て逃げ」と何度も何度も反芻してしまう。フジモンを見たいのに、フジモンは面白いのに、フジモンを見ると当て逃げの人だと見てしまう。もう頭がおかしくなりそうだ。
当て逃げのことは被害者もいることだからネタにはしないのかと思っていた。だが復帰直後から土下座してみせたり、「150連休だったんやぞ!」言うてみたり、「給料が6円だった。昔出したヘキサゴンのDVDの印税」と言うてみたり、十分当て逃げの件をネタにしている。当て逃げのことをネタにしていいのだったらフジモンは何故、当て逃げのことを振られた時に
「顔デカいからや。オレの顔がデカいから車が当たっとんねん。普通の人間ならすぐに降りていって謝って警察呼ぶんやろうけど、オレの顔がデカいからオレは逃げたんや。オレの思考が当てたら逃げる反社会的な思考やなくて、全部顔のせいやねん。大丈夫や、心配すんな、オレが当てて逃げたのは顔デカいからや」
言わなかったのだろう。言ってほしかった。悲しい。虚しい。寂しい。


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