同意社会の迷子たち━━文科省、学校教材に性的同意の重要性を明記へ

性的同意をめぐる議論が盛んだ。文科省は学校教材に性的同意の重要性を明記するようだ。
一昔前は無言や沈黙は「イエス」の合図だった。「キスしていいですか?」など野暮でしかなかった。
今はそういった男女のグレーさも、雰囲気から読み取ることもダメらしい。何も言わないのはイエスではないのだと。

法律の文言をどう整えようが、現実の恋愛の現場ではYESとNOが猫の目みたいにくるくる変わる。線引きなんて本来あいまいなものを、どうにか落ち着けようとするから、みんな頭を抱えるのだろう。おそらく誰もが内心では「正解なんて誰にもわからん!」と思っている。

ふと昔のことを思い出す。初めての彼女との初キス。当時の自分はバカ真面目で、緊張のあまり
「キスしていいですか?」
と聞いた。
彼女は笑って
「野暮だよ」
と言った。
あの瞬間の空気は、今でも鮮明だ。
しかし、あれを今の時代にやったら“模範解答”扱いなのだから、世の中というのは不思議なものだ。

もちろん、背景には深刻な問題がある。黙ってキスして、相手が嫌がったら性加害が成立する――そんな時代になった。それは被害を防ぐための当然の流れでもあるし、同時に恋愛の「揺らぎ」や「空気」をどう扱うかという難題も突きつける。
恋愛は本来、言語化しきれない領域だ。
相手の表情、沈黙、距離感、呼吸のリズム。
そういう“非言語の海”の中でYESとNOが揺れ動く。そこに法律の物差しを持ち込むと、どうしても無理が出る。だからといって、曖昧さに甘える時代でもない。
結局のところ、私たちは「空気を読む恋愛」と「言葉で確認する安全」の狭間で、ぎこちなくバランスを取って生きている。

あの日、笑われた「野暮なキス」。
あれは時代を先取りしていたのかもしれない。
でも、あの瞬間の照れくささや、空気の揺らぎは、どんな法律やAIにも再現できない。
恋愛の本質は、きっとそこにある。

同じ時間に世界に目を向ければアメリカがイランを奇襲攻撃した。
「攻撃していい?いい?しちゃうよ?」
アメリカは不同意攻撃等罪である。アメリカはイランの同意も取らずに攻撃した。
そして日本はイランを攻撃したアメリカに対して思春期女子のように、イエスともノーとも言わずに曖昧な態度を取り続けている。

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