コラム:消費税減税論議が映し出す、日本財政の“見えないタブー”

消費税減税をめぐる議論が再び熱を帯びている。高市首相が「食料品の消費税を2年間ゼロにする検討を加速する」と述べたことで、与野党を巻き込んだ国民会議の議論が本格化した。だが、議論が進むほどに浮かび上がるのは、政策の是非よりも、日本の財政運営に横たわる“構造的な歪み”である。

■ 食品に税をかけるという「当たり前」への違和感

生活必需品である食料品に税をかけること自体が本来おかしいのではないか──。
この素朴な疑問は、物価高に直面する国民の実感として極めて自然だ。
それでも日本では、食料品への課税が“当然”のように扱われてきた。理由は単純で、財務省が「安定財源」として消費税を最も重視してきたからだ。税収が景気に左右されにくいという特性が、逆に政策の柔軟性を奪ってきた。

■ 「財源は?」という呪文と、財政法12条というタブー

減税議論が出るたびに、財務官僚や一部政治家が必ず口にするのが「財源は?」という言葉だ。
しかし、国民民主党の玉木代表が指摘するように、近年は予算の使い残し(不用額)や税収の上振れが毎年数兆円規模で発生している。昨年度は約7兆円、おととしは約11兆円の上振れがあったとされる。それでも「財源がない」と言い張る背景には、財政法12条(予算の年内消化原則)という、ほとんど議論されないタブーがある。
年度内に使い切らなければ翌年の予算が減らされる──この仕組みが、官庁の“使い切り文化”を生み、無駄な支出を温存してきた。
興味深いのは、この問題を真正面から批判する政治家がほとんどいないことだ。財務省出身の政治家でさえ沈黙する中、玉木だけが一貫して問題提起しているのは特筆すべき点だ。

■ 国民は家計をやりくりするのに、政府はなぜできないのか

国民は急な出費や病気で収入が減ったとき、当然、ある中でやりくりして生活している。
ところが政府は、やりくりするどころか、国民生活に直結する予算から真っ先に削ろうとする。この逆立ちした発想こそが、国民の不信感を生む最大の要因だ。「財源がない」のではなく、「無駄を削る意思がない」。
この構造が変わらない限り、どれほど減税を議論しても、国民の可処分所得は増えない。

■ 国民会議の議論が示す“ねじれ”

食料品の消費税ゼロに約5兆円の財源が必要とされ、財源論が最大の争点になっている 。
一方で、玉木は「つなぎの減税より、本丸は給付付き税額控除だ」と主張し、制度改革を優先すべきだと訴える。
しかし、議論の根底にはもっと大きな問題がある。「減税をすると元に戻せない」という政治的リスクが、自民党内に根強く存在することだ。つまり、政策の合理性よりも、政治的都合が優先されている。

■ 宗教法人という税金を免れる最強の看板

宗教法人課税の議論がほとんど報じられないことに疑問を抱く声もある。自民党が長年に渡ってお世話になっている、どんどん捲れてきている統一教会も非課税。
反社会的な行為を行って稼いできたものに長年税金をかけてこなかった。
対して一般の普通に生活しているだけの庶民からむしり取る。
いや、逆じゃね?反社会的組織からむしり取り、一般庶民からは取るなよ。普通に考えれば分かることを実行できない政治家は普通の思考がないのだろうか。

■ 無駄を削ることこそ最大の財源

国民が求めているのは、「入ってくる財源を増やす議論」ではなく、「出ていく無駄を減らす議論」だ。
公金チューチュー問題、成果の見えない巨大予算、不要不急の事業──こうした支出を見直すだけで、数兆円規模の財源は確保できる。
それでも政府が動かないのは、既得権益の抵抗が強いからだ。だからこそ、減税議論は単なる税率の話ではなく、日本の政治と行政の構造改革そのものを問うテーマになっている。

■ 減税論争は「国民の生活を誰が守るのか」という問い

消費税減税は、単なる景気対策ではない。
国民の可処分所得を守り、生活の安心を取り戻すための政策だ。だが、減税の是非以上に重要なのは、「政府は本当に国民の生活を第一に考えているのか」 という根源的な問いである。
財源論に逃げるのではなく、無駄を削り、優先順位を付け、国民の生活を守る政治へ──。
今回の議論は、その転換点となり得る。
さあ、まずは手始めにこども家庭庁を潰して、2Fから50億円を返してもらおう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました