子ども家庭庁が守れなかった命──増え続ける母子の悲劇は誰の責任か

また母子が無理心中した。
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子ども家庭庁は「ちゃんと仕事しています」しか言わないが、まあちゃんと仕事はしているだろう。当たり前のことだが。結果が出ていない。結果が出ていないのだからやり方が間違えているのか、そもそも子ども家庭庁が必要ないのか、必要ない程度ならばいいが、逆に子どもやシングル世帯などへの支援の邪魔になっていないのだろうか。こども家庭庁がなければ、その分の人員も予算も別角度からの子どもやシングル世帯などへの有効な支援に使えるのではないだろうか。

■「子ども家庭庁ができてから、むしろ不安が増えた」という現実

子ども家庭庁が発足してからというもの、皮肉なことに「母と子の事件」が毎日のように報道されるようになった。もちろん、事件そのものが増えたのか、報道が増えただけなのかは慎重に見なければならない。だが、少なくとも“安心感が増した”と感じている国民はどれほどいるだろう。
制度の是非はさておき、今の体制では救えていない命がある。その事実だけは、誰も否定できない。

■「こども家庭庁はいらない」──そう言いたくなる理由

無理心中は今年に入って何件あったのか。去年は何件だったのか。数字を並べるまでもなく、ニュースを見ていれば胸が痛むほど分かる。
「子どものため」と言いながら、実際に行われている政策は、親と子を引き離す方向にばかり力が入っているように見える。
虐待防止はもちろん必要だ。しかし、支援よりも“介入”が先に立つ構造は、追い詰められた家庭をさらに追い詰めるだけではないか。

■1人1万円の手当で、どうやって生きろというのか

子ども1人育てるのに月1万円の手当。
「働け」と言われるが、働いても足りない家庭は多い。まして体調を崩せば、働くどころではない。
子どもが成長すれば、周囲との格差も露骨に見えてくる。習い事、欲しいもの、流行りのシール交換──大人から見れば「そんなもの」と思うかもしれないが、子どもにとっては世界そのものだ。
親は「与えたい」。でも現実は「与えられない」。そのギャップが、静かに家庭を蝕んでいく。

■生活保護は“最後の砦”のはずなのに

「どうにもならない」と思ったとき、生活保護が拒否されることも多い。
制度上は“権利”のはずなのに、実際には“門前払い”のような扱いを受ける人もいる。支援が必要な家庭ほど、支援にたどり着けない。この矛盾を放置したまま、「少子化対策」と言われても、どれだけの親が納得できるだろう。

■少子化対策を本気でやるなら、まず第1子から支えるべきだ

少子化が国の最重要課題だというなら、第1子から月3万円の手当くらいは当然のラインではないか。かつてあった扶養控除の復活も、現実的な選択肢だ。
「子どもを産みたい」と思える環境を整えることこそ、最も効果的な少子化対策だ。

■「なぜ外国人には支給して、日本人からは徴収するのか」という疑問

外国人支援の是非は、国際的な枠組みや法制度が絡むため単純化はできない。
ただ、国民の多くが抱いているのは、“自分たちの生活が苦しいのに、なぜ外側ばかり手厚いのか” という素朴で切実な疑問だ。
この疑問に対して、政府は丁寧に説明してこなかった。説明不足は不信を生む。不信は怒りに変わる。そしてその怒りは、子育て世代の心をさらに冷え込ませていく。

■「守られるべき家庭」が守られていない国で、子どもは増えない

子ども家庭庁が必要かどうか──その議論は続くだろう。
だが、もっと根本的な問題がある。“家庭を支える仕組み”が、あまりにも弱い。親が安心して暮らせない国で、子どもが安心して育つはずがない。そして、安心して育てられない国で、子どもが増えるはずがない。
制度の名前を変えるだけでは、何も変わらない。必要なのは、親と子が「生きていける」と実感できる現実だ。

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