自民党党大会で現役の陸上自衛官が国家を斉唱した問題で、高市首相は「法的には問題ない」と発言した。しかい木原官房長官は「法律的に問題がなくても政治的に誤解を招くことは別問題だ。しっかりと反省すべきものだと考えている」と話した。
演奏服の影が落とすもの――政党と自衛隊、その危うい距離
自衛隊音楽隊員が自民党大会で国歌斉唱を行った問題は、単なる「服装の手続きミス」として片づけられるべきものではない。むしろ、政党と軍事組織の距離感、そして公務員倫理の根幹に関わる重大な論点を内包している。
今回、隊員が着用していたのは通常の制服ではなく、陸上幕僚長の許可が必要な“演奏服”である。自衛隊服装規則では、演奏服は「陸上幕僚長が演奏のため特に必要があると認めて指示するとき」に限り着用が認められる。つまり、許可制である以上、許可の有無は極めて重要な意味を持つ。
ところが、陸上幕僚長は「許可は出していない」としつつ、「規則違反ではない」と説明した。防衛省も「職務外での着用を禁じる規定はない」と述べた。
この説明は、論理として破綻している。許可制とは本来、「許可がなければできない」ことを意味する。それを「許可は必要だが、許可がなくても違反ではない」と解釈するなら、規則の存在意義そのものが揺らぐ。
この論理は「自衛官は自衛隊の備品を許可なく持ち出しても処分規定がないから問題ない」という極めて危うい前例を作ることになる。規律を生命線とする組織において、これは看過できない。さらに深刻なのは、政党と軍事組織の関係性である。
自衛隊は国家と国民に奉仕する組織であり、特定政党のために動く存在ではない。憲法15条が定める「公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」という原則は、民主国家の根幹を支えるものだ。
政府の式典であれば問題はない。しかし、政党大会は国家行事ではない。そこで現役自衛官が礼装で登場し、肩書き付きで紹介され、式次第の一部として国歌斉唱を行う――
これは、政党と軍事組織が結びついているかのような構図を生み出す。
自衛隊が日本国ではなく、自民党に忠誠を誓うのならば、それは中国ではなく中国共産党に忠誠を誓う人民解放軍や、イランではなく革命体制を守護するために活動する革命防衛隊と同じだ。自民党は中国共産党やイラン革命体勢と同じレベルの思考思想でしかない。
世界の歴史を振り返れば、政党と軍隊の癒着がどれほど危険な結果を招いてきたかは、枚挙にいとまがない。シビリアンコントロールとは、単に「文民が軍を統制する」というだけではなく、政治権力と軍事力の距離を適切に保つための倫理的枠組みでもある。
今回の問題に対し、政府首脳の初動は「私人としての出席だから問題ない」という居直りに近い姿勢だった。
しかし、木原官房長官が後に「反省」を口にしたことは、遅ればせながらも一歩前進と言える。本来は、首相や防衛相、党幹部が最初に示すべき態度だったはずだ。
統治は、統治する側への信頼があって初めて成り立つ。
その信頼は、法令の解釈や運用における誠実さ、そして公務員倫理への自覚によって支えられる。今回の問題は、単なる「服装の手続き」ではなく、政党と軍事組織の健全な距離をどう保つかという、民主主義の根幹に関わる問いを突きつけている。


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